分かってましたけども。躁に動きすぎると鬱になります。躁からの寛解期移行、ちゃんと成功したことはあるので、これはわたしが悪いです。10時間で2.8万字とか書くもんじゃないです。
低気圧もあって午前中はほぼ屍、仕事も休んでくたばっていましたが、昼過ぎからちょっと元気になってきました。調子に乗ってコメダに出かけたら、両耳にメニエール病の低音難聴が出ていて、ぽーーーーだのぼーぼぼぼぼだの、異音のオンパレード。まあ低気圧だから仕方ないか。
うーんこの調子で元気になりたい。躁の前の寛解期が長かったので、いける気がして日曜と月曜に、人との予定を入れてしまった。明日も推し活でラウンドワンに行く予定。まあカラオケなので、無理だったら寝てればいいんですけど。
鬱になるたび、いや、今までよく生きてたなと思います。2020年に躁鬱の診断を受けたんですけど、その1~2年くらい前から躁鬱だっただろうなと思うし、診断されてからも2年くらいは通勤して接客業してました。
ずっと死にたかったんですよね。死んでなかっただけです。まーじでつらかった。仕事は好きだったのでやれてましたけど、バス通勤ができなくなって、というかイスを持ち歩きながら休み休み通勤していたんですけど遅刻で有休がなくなっちゃって、これ無理あるなと気付いて辞めました。
死ななくてよかったー。通勤できなくなったのは体力的な問題なので、在宅ワークしていても普通に今も死にたいですけど、まあ死ぬほどの状況でもないか……みたいな感じで、冷静に希死念慮と付き合えています。死にたさは感情ではなく感覚。
ここ1週間くらい隙あらばずっと書き続けていて、ふと「これからどんなふうに生きよう」って思ったんですよね。なんか、書くこと以外のことに興味が持てない。なんなら推し活もちょっと重い。これは鬱の影響もあると思うけど。
書いていない時、何を信念として生きようか、と。これがないと、書いていない時なんとなく虚無感があるんですよね。たぶんドーパミンが出ていないだけだと思うんですけどね。ほしいですね、ドーパミンが出る信念。
んなもん簡単には見つからないので、とりあえず何をしていても「これをどう書こう」と考えていいことにしました。なんでもnoteにしようとすると大変なので、書き物はこのブログや日記でもOK。というかたぶんほとんど日記に書きますけど。
SNSにハマっている人とか、たぶん何してても「これをどうポストしよう」って考えますよね。それと同じ感じ。たぶん。わたしの場合は公開しなくてもいいんですけど。書くことができれば。DayOneという日記アプリで日記550日以上書けてます。
あとはねー、鬱のうちにできること、みたいなのほしいですね。躁の時に大急ぎで同人誌発行したのは、躁の時にしか書けないものがあるから(そして躁はいつ終わるか分からないから)です。鬱の時にしか書けないものも存在するから、まあ書くか。
書くことが楽しいです。そして幸い、体裁を整えてnoteに投稿するとまあまあ読んでもらえます。ありがたいです。文章の全てを公開しなくてもいいけど、そこはそれとしてわたしは公開しないと自分がこの世に存在していることを確認できないので、生存に直結してます。
だからもう鬱の時に連続投稿を諦めるのはやめよう……。最近、混合状態の日もあるので、明日も鬱かは分かりませんけど、今回の鬱はどうにかして毎日投稿続けたいです。
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