書くたびに元気になっていっておもろい

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数日前(?)に「なんのために生きてるんだろう」と言っていたのが噓のように元気になった。いや、さみしさとかは普通に存在するのだが、書きたいものが思い浮かぶし、思い浮かばなくても探そうと思える。先日コワーキングスペースとビジホで1万字書いた後、躁になった。書きすぎると躁になる。

観念して書き続けるしかない。6月以前は意図的に「創作おやすみデー」なるものを設けようとしたりしたけど、結局上手くいかなかった。noteは何度か休んだけど、最大5日くらいしか不在にできなかった。書かないのが向いてない。

とはいえ今、小説を書ける気がしなくなっていて「書くのやめようかな……」みたいな感情になっているのだけど、ビジホで1万字書く前にも同じことを思っていた。そろそろ手を動かさないとまずいなと思ってカフェでプロットを立てたら、なんか書ける気がしてコワーキングスペースに行って……1万字。

ある日突然書ける日が来るということを受け入れなければならない……。そんなものに頼りたくないし、信じたくないのだけど、たぶん何度もそれに支えられてこの10年、同人誌を制作している。うーん10年書き続けるハウツーみたいなの発信とかしてたんだけどなあ。

最近はそういう「一生書くには」の研究みたいなのをおやすみしていて、ひたすらエッセイや日記のようなnoteを書いている。……つもり。いや、たまにハウツー語っちゃうけど……。でも今、自分の内面を書くということをちょっと続けてみたい。

どんなふうに書き続けたら幸せなのか、ずっと考えている。わたしは「楽しくないなら書かなくていい」説には反対で、楽しい時も苦しい時も書き続けたい派なのだけど、どうせなら幸せに書きたいし、書いている時は幸せだと言いたい、苦しくても。(それは両立すると思う)

書きすぎると躁になる、と書いたのだけど、躁の時にさらに書きすぎると、反動で普通に鬱になる。なので、鬱になっても書き続けて(医者っぽく言えばなるべく動いて)アゲていかなければならない。……ということだ。結論が出た。書くことは療養。これからも休みすぎずに好きなだけ書く。

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