大変だ、人生が楽しい

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鬱明けかもしれない。いや、気分「0」(鬱でも躁でもないフラット)は3月24日にも記録していて、でもその後「‐3」まで落ち込んだので、油断はできないけども。昨日は「0」を記録した。今日も「‐1」以下になることはないと思う。鬱は明ける。鬱の時はしんどすぎてそうは思えないが。

収入が大きく減ったことを抜きにすれば、わたしの人生わりとやりたい放題である。noteも書くし二次創作も書くし(同人誌作るしイベントで頒布するし)一次創作小説も書きたければ書けるし(進捗は微妙だけど)、kindle本も出したければ出せるし日記ブログまで始めてしまった。楽しすぎる。書いても書いても埋まることのないページ。

書く以外にないんか、と思うが、ない。いや宅建の勉強しなくちゃいけないとかはある。仕事も週3とはいえ続けているし。あるとすれば夫に感謝すること。わたしが躁鬱を抱えながらも無理をしない働き方を選びつつ呑気に文章を書いていられるのは、夫が支えてくれているおかげなのである。それを忘れてはいけない。

そもそも、生きるために、子どもを望むのをやめたいと言い出したのはわたしだった。夫はちょっと食い下がったというか、問題があるなら解決してどうにか諦めない道を模索しようと試みてくれたけど、わたしはもう頑張れなかった。夫は最終的に、夫婦二人で生きていくことを受け入れてくれた。どうやって二人きりの人生を楽しむか、色々と提案もしてくれた。

夫を幸せにしなければならない。今日は土曜日。夫を幸せにしなければならないわたしが、休日なぜ書斎に引きこもって文章を書いているのかというと……体調を見極めるためである。わたしはめちゃくちゃお腹を壊しやすい。なんともないと思って出かけても、外食した瞬間お腹を下す。

でも最近、朝活で文章を書いていると便通が起こりやすいことが分かった。お腹を下していなければ横浜中華街でデートするつもり……なのだが、鬱明けで不眠が再発しており、シンプルに眠い。夫を幸せにする道のり、健康への道のりは遠い。時間はあっても、気分が晴れていても、体がついていかない。でも「書くこと」って寝ながらでもできますからね。やっぱり人生が楽しい。

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コメント

  1. 蒼海豊 より:

    少し面倒くさい言い方をすると、「幸せである」ということは、「幸せであるための努力をしている様」であると考えています。
    パートナーを幸せにしなければならないと考えていること自体がすでにパートナーにとっては幸せが与えられた状態なのだと、そう思うのです。
    更にいうと、夫婦にとっての幸せとは、お互いがパートナーを幸せにしたいと想い続けるその想いにこそ宿るものなのかもしれません。

    かく言う私はというと、婚姻歴もない、独り身おじさんなので、
    どの口がいうねん!
    という話なのですが。

  2. 小海 いと 小海 いと より:

    蒼海豊さん

    お読みくださった上にコメントまで! ありがとうございます。なるほどです、確かに少なくともわたしは、夫から「健やかであってほしい」と願う方向性の選択肢(子どもを望まないという選択肢)をもらえた時点で、幸せな人間だと確信しています。「幸せであってほしい」とわたしが願っている夫も、同じように幸せなのかもしれないです。お互いの幸せを想い合えている時点で確かに幸せですね。これ、ちゃんと記録を残したいです。ヒントをありがとうございます!

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