この日記、人の目を気にしすぎないようにしようと思って「ですます調」ではなく「である調」で書き始めたのだけど、普段「である調」で考え事をするわけではないので、語尾の管理が難しい。文章を編集する一手間が多い。
気付くと「〜なのである」とか「〜わけである」とか連続していることがある。その語尾が好きなんだね。恥ずかしいので直しています。
この日記を1週間後も1か月後も覗きに来てくれる人がいるかは分からないけど、noteのつぶやきでこのブログ開設したら、書く部さんのコミュニティでご紹介いただいてしまったので、やはり多少は人の目を意識するべきだろうと認識を改めた。
で……。「である調」に無理があることは、わたしもう気付いてるよね? たぶんこの日記は少しずつ、口語と「ですます調」のミックスになっていくと思います。とかいって、日によっては内省が深すぎてであるであるしてる時もあるかもしれないけれど。
Kindle出版する予定の週休4日日記は、である調で書いています。そっちはちゃんと文章校正するので。まともな文章になるはず。いやー文章って難しい。
上阪徹さんの著書「職業、ブックライター。毎月1冊10万字書く私の方法」に「話すように書けばいい」という話が出てくるんですけど、実際本当にそう。話すように書くのが一番書きやすいんです。だからわたしは小説も一人称。
ところでなぜ文章を書く時って、人に語りかけてしまうんでしょうね。自分のために書いているつもりでも、気付くとですます調で「〜ですよね」とか書いている。誰も読みにこなかったらどうすんのよ(笑)。どうもしないけど。
不思議です。noteを毎日書き始めたのはつい数か月前のことなのに。
コメント
文体の統一って案外難しいですよね。
社内文書のようなものでは自分の型が決まっていますので、意識せずとも統一されているのですが、
いざ仕事を離れると
である である です
です である だ
うわーーーーーーーーーーーーーーーー
ってなります。
でも全体としてはひとつの文章のまとまりなんでしょうが、
一文一文は、そこに籠る感情もまた違ったものであることもままあることでして、
いいのではないでしょうか?
と思っています。
あと語りかけてしまうのは、わたしの場合ですが、自分への語りかけの場合が多いです。
かっこいい言葉でいいうとあの、その、、、ペルソナとかいうんでしたっけ?
それが自分自身であることが多いです。
現場からは以上です。
蒼海豊さん
コメントありがとうございます!
そういえば仕事では「である調」見慣れてますし書き慣れてますね。でもブログのような「人に読まれる」と「自分のため」の中間のような文章だと、どうしても途中で違和感が……。確かに、一文一文を感情のままに書いていて、その感情に合った文体が出てきているのだとしたら、そのままに書いていくのが自然なのかもしれないです。
わたしはネットに上げる文章において「自分へ語りかけ切る」というのがどうもできないようでして、気付くと他者に語りかけています(笑)。いっそペルソナを一人つくってしまって、その人が読んでいる想定で書くと、文体のブレが少なくなって、違和感を覚えず書き続けることがしやすくなるかもしれません。ヒントをありがとうございます!